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「完治」 ではなく 「寛解」 を目指して

−     2014.5〜2016.8     −


◆ 【服薬の再開】 2014.5〜2015.10 ◆
   いったん断薬したジェイゾロフトを、2014年の5月に再開して以来、少なくとも次の冬を超え終わるまでは一切減薬せずに飲み続けようと決めました。 冬は発作やうつ状態があらわれやすい季節です。 子供の笑顔に助けられたこともあって、2014〜2015年にかけての冬は、ほとんど発作もなく過ごすことができました。 薬をちゃんと飲んでいるからなのか、「ちゃんと薬を飲んでいる」 という安心感からなのか、意外とサラリと超えてしまった印象があります。 しかし日記を紐解いてみると、大きな字で "不安あり" と書かれた日が多く、パニック発作こそはなかったものの、寒さに潰されまいと気を張り、あるいはその一方でビクビクしていた様子が伺えます。

   この年 (2015) の夏、私は遂にランニングから引退しました。 心臓の期外収縮が出たためです。 ほとんど危険のない期外収縮とはいえ心室性で、起きるときには喉元にドクンと詰まるような感覚が起こり、不快でした。 特に、激しい運動後に期外収縮が連続して発生することがあったため、大事をとってランニングやロードバイクなどの激しい運動からの撤退を決めたのです。 今このタイミングで期外収縮が出たのは、年齢からくるものや自律神経系の疲労がなどが原因としてあったかもしれません。 しかし私は、この期外収縮の "おかげ" で、本当の心臓の動きとはこのようなものなのだという感覚を肌で感じ、残遺症状などの時に感じる胸の不快感が、いかにも心臓ではないのだと少しずつ理解できるようになりました。 いつもなら、
「いつのまにか不安」 → 「身体感覚に意識が集中」 → 「胸がズーンとする」 → 「腕とかも痛い」 → 「やばい! 死ぬ!」 → 「不安増幅」 → 「うつ状態」 → 「パニック発作」
となっていたものが、身体感覚に意識を集中するのをやめるように意識的にブレーキをかけることができるようになりました。 それでも動悸が気になるときは、2〜3日の間だけゾロフトの服用量を増やして対応しました。 まったくの気のせいかもしれませんが、ゾロフトの服用量を増やすと期外収縮の頻度も減っているような気がしたのです。
   これはほんとうに、まったくの気のせいかもしれませんが、ゾロフトの服用は期外収縮の頻度を抑えていたように思います。 あるいは、期外収縮が気にならない程度に、身体感覚に無頓着になれていたのかもしれません。 webで検索すると、SSRIと期外収縮の関係について書かれたページがいくつかヒットしますが、仮説の領域を出ないか、主観的なものが多く、はっきりとは断言できません。 私自身は 「期外収縮を抑制する」 というSSRIの効果のひとつを自分なりに経験として覚え、その後も数回ほど期外収縮を抑えるために活用し、奏功しています。
   考えてみれば、心筋は自律神経支配ですので、間接的にではあれ、SSRIが心筋に何らかの影響を及ぼしてはいるだろうということはなんとなく想像できます。 まぁ、気のせいかもしれませんが。 今後の統計調査や医療専門家の意見を待ちたいと思います。


◆ 【多忙と休薬】 2015.11〜2016.3 ◆
   2015年の秋、大きな仕事に取り込まれることになりました。 一般の人はよく、こうした大きな仕事のことを "プロジェクト" と呼びますが、私はこの呼び方をあまり使わないようにしています。 私だけかもしれませんが、その昔、"プロジェクト" という言葉の響きの中には、何か希望に満ちたイメージがありました。 この仕事を達成すれば大きな収益を確保できるとか、いまよりもずっと効率的になるといったような。 そして、そのような仕事に取り組むときは、決まって大きなやる気が湧いてきて、終始し発奮して、寝る間も通勤時間も惜しんで取り組んだものです。 しかし今、"プロジェクト" といえば、"デスマーチ" 、 "ただ働き" 、 "帰れない" 、 "報われない" 、 "どうせ終わらない (期限までに納品できない、納品してもトラブル続発) " 、 "人柱" 、 そして、 『うつ病罹患への片道切符』 、 『パニック障害の原因』 といったイメージが瞬時に浮かびます。 この時も、できれば巻き込まれたくないと思っていました。
   多少ヘマをやっても、それほどクリティカルな事態にならないような仕事でしたが、それなりに規模が大きく、お客と折衝する機会も多い仕事で、正直イヤでした。 しかしそこでの仕事内容の一部は私の得意分野であり、もしも私が首を突っ込まなければ、脇で黙って見ていられないだろうことは想像がついたので、やってみようと思いました。
   しかし実際にはじめて見ると、矢面に立ってくれる人や、そのサブの人がとても良く頑張ってくれたので、人柱になることも、デスマーチになることもなく進んでいきました。 それでも帰宅は遅くなり、休日出勤も多く、かなり疲労がたまりましたが、年末年始の休みもしっかり取らせてもらい、パニック障害の原因となった "あの" プロジェクト
(そのプロジェクトについては、敢えてこのホームページのどこにも触れていません) のような辛さはありませんでした。

   多忙にかまけて、病院を受診できなくなってきました。 ゾロフトは 一日25mgの時も、倍の50mgぶん処方してもらっていたので蓄えは十分に確保していましたが
(このやり方、ほんとうはNGです!) 、この際なので減薬に取り組んでみようと思いました。 多忙になってから、うつ状態になることが激減していたからです。
   経験的に、冬になるとうつ状態は悪化します。 頻度が増えるばかりでなく一度あらわれると状態は酷くなります。 しかしこの冬は多忙のおかげでやや状況が違いました。 仕事でパソコンに向かいながら、一瞬、あの、「不安の回路」 がアタマの中で形成されそうになりますが、「うるさい! それどころじゃないんだよ!」 と、そうした兆候を跳ね飛ばして仕事に没頭しました。 通勤電車の中でも、あれやこれやと考えることが多く、本を読んで空虚さを紛らす必要もなくなりました。
   考えようによっては、この状態は危険と言えば危険です。 疲労がたまってうつ状態が悪くなる可能性のほか、仕事から解放された瞬間に燃え尽き状態を起こし、病気に逆戻りとなるかも知れないからです。 また、激しく頭脳を回転させながら考え事をしていると、ときどき、思考回路が暴走して人格を凌駕してしまうのではないかというような不安がよぎることがありました。 統合失調や躁状態に近いものだと思います。 しかし人格や思考が破綻を来すところまでには至りませんでした。 危険を感じたらブレーキをかけるようにしていました。
   春の予感がしてきた3月中旬ごろ、ジェイゾロフトの服用を2日に一度、3日に一度という具合に更に漸減し、それでも激しい不安がなかったことから休薬に踏み切りました。 調子が悪くなったらまた始めるつもりでしたが、このまますんなりと長期休薬に入ってしまいました。


◆ 【回復の始まり】 2016.4〜2016.7 ◆
   そのまま春になり、前年の秋から続いていた "大きな仕事" も検収が済み、終了しました。 気候が良くなったことに加え、ストレスが和らいだことから、心理的にはますます安定していきました。 休薬もそのまま継続していました。
   このころ、非常に表現しにくいのですが、パニック障害を発症する前の自分らしい気分が帰ってきたように感じることが多くなりました。 いつもの通勤電車の中で、ふと道を歩いていて、また家に帰って夜食を目の前にしたときや、仕事をしながらふと窓の外が明るいなと気が付いたときなどです。 ほんの瞬間的あるいは短時間であることが多いのですが、ワクワクしたり、音楽に突然感動したり、天気が良いだけでものすごく爽やかな気分になったりと言った具合です。 だからと言って、多弁になったり活動的になったりするわけではなく (つまり躁状態ではなく) 、「満たされているなぁ」 という感覚の前言語的なものです。
   気候が良くなってきて少し爽やかになってくる。 それは毎年のことでしたが、それに加えて特に音楽を聴いている時に、その音楽の調子に合わせて 「ぱぁーーーっ」 と世界が開けてくるような感覚が突然やってきました。 音楽を聴く態勢で聴いていた時ではなく、作業のBGMとしてかけていた時で それはまだ若いころ (18〜20ぐらいの時) にその曲を聴いたときによく感じていた感覚です。 とても懐かしい感覚で、「こんなふうに感じられるところまで回復してきたのかなぁ」 と思うようになりました。 そこまでの開けた感覚はそう何度も起きませんでしたが、生活全体の進み行きが、温かみのある柔らかい光に包まれているように感じることが多くなりました。
   
まったく参考にはならない話かも知れませんが、F=リストの交響詩「前奏曲」 の最後の部分を二十数年振りに耳にしたとき、私の脳味噌の中で長年閉じ込められていた"何か"が 「パチンッ」 とはじける音がしました。 この曲は私が高校生の頃にカセットテープが剥げるまで聴いた曲です。 青春時代には完全に理解できなかったこの曲のテーマをいま再び読み返す時、大人になってからの苦労の記憶や、無駄と思われた回り道に、時代を越えてこの曲の大音声が祝福の嵐を浴びせているように思えたのです。 これはまさにリストからの贈り物でした。 同時に、二十数年前の自分からの贈り物であったのかもしれません。 とても懐かしく、不思議な気持ちでした。 この現存しないカセットテープには、シューマンのピアノ協奏曲イ短調や、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢序曲なども入っていたことを思い出し、それらの曲もあらためて聴きました。
   うつがほとんど出なくなり、パニック発作がまったくなくなった状態が定着したころ、緊張感が100%脱落したようになる時がありました。 特に休日は常に眠く、ちょっと床にゴロッと横になったりしようものならすぐに眠ってしまいました。 まるで廃人のようでしたが、ベンゾジアゼピン系の薬を常用していた時と違って、ちょっとした買い物などで外出したり何かの作業をしている時は割としゃんとしていられる程度です。 言ってみれば、交感神経が弛みきっているような状態です。 以前は休日でゆっくりしているつもりでも、体のどこか (特に左上半身) の緊張 (無意識の力み) が抜けきらないような状態で、廃人のようによく寝ている割には心理的に休んだ気持ちになれないときが殆どでした。 この春から夏にかけてのだるさは、ここ数年間の緊張の反動かと思われるほどの弛みようで、身体もポカポカしていました。


◆ 【病前の自分へ】 2016.8〜現在 ◆
   劇的に世界が開けるような回復の兆候が一巡し、夏になると、これらの心理的な変化と関係あるのかどうかまったくわかりませんが、去年から続いていた心臓の期外収縮がほとんど出なくなりました。 期外収縮の発生回数が少なくなってきたと感じてからも、夜更かしなどの疲労があると日中に数十回は期外収縮が発生していましたが、それすら殆ど無くなったのです。 私は期外収縮が出てからというもの、運動から遠ざかってしまい、ランニングや自転車からも完全に引退していましたが、この夏思い切って再開してみることにしました。 真夏にストイックな運動を続けていると、誰でもカリウム不足に陥り、拍動に異常が発生しやすくなります。 私は電解質不足に細心の注意を払いつつ運動を再開しました。 幸い期外収縮は全く現れず、元の自分を完全に取り戻しつつあることを全身で感じながら生活しています。
   ※期外収縮の感じ方には個人差があります。 人によってはまったく感じなかったり、逆に非常に不快だったりします。 感じる人の場合、脈が飛んだことを自覚したり、脈が飛んだあとの最初の拍動の際に不快感を感じることが多いです。 脈が飛んだあとの最初の拍動は、心臓近辺の血管に滞留していた血液がまとめて出されるので拍出体積 (StrokeVolume) が大きくなります。 私の場合は、脈が飛んだことには全く気付きませんが、脈が飛んだ後の最初の拍動は喉元に 「ドクンッ」 と突き上げるような不快感があります。 期外収縮を感じるか感じないかは、個人差が大きいです。 というよりも、解剖学的には感じないはずなのですが、感じてしまう人もいるのです。 その理由は判っていません。 というと、この自覚自体が気のせいなのではないかと考えられがちですが、少なくとも私の場合は自覚と同時に心電図に異常が出る (百発百中です) ので、気のせいではありません。 医者も驚いていましたが、感じてしまうのですから仕方ありません。そういう人もいるのです。 反対に、感じないからといって期外収縮がまったくないとは言い切れないので注意が必要です。
   現在は以前 (病前) とほぼ同じように生活できています。 薬も全く飲んでいません (長期休薬中) 。とはいえ、この状態で冬を越えることができたわけではありませんし、ときどき、「こんな時、不安が増幅されたよなぁ...」 と思い出したりしながら、そのままフラッシュバックが起きるかもしれない (実際はその兆候すらなく、ただの取り越し苦労) と思う (思い込み) ようなことがあり、完全にオサラバできたわけではないと思っています。 この良い状態がいつまで続くかわかりませんが、調子に乗ることなく、いつ発作や不安がやってきても冷静に症状を見つめ、心のバランスをコントロールできるできる自分でありたいと思っています。




                

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