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パニック障害の顛末E 減薬、そして断薬へ

−     2012.6.7〜2013.5.23     −


◆ 【発作頻度の低下現象】 2012.6.7〜2013.1 ◆
    2012年6月7日、あの強い発作の翌日から、減薬に真剣に取り組むことにしました。  まず、ランニングを再開しました。 去年、ランニングを中断したのは、仕事のリズムがあまりにも不規則になり、ランニングできる日が定まらず、 ランニングしたとしてもその後の休息が十分に取れなくなっていたからです。 今年は、土日ともしっかり休むことができたため、安心してランニングを再開しました。  ランニング中に発作に見舞われることもありましたが、走っているためもともと鼓動が早く強くなっており、「ぜんぜんへっちゃらだ」 と思えるようになりました。

    あの強い発作以降、暫くの間はジェイゾロフトを1日100mgを服用し、慎重に減薬を行いました。 一旦減薬したあとに元に戻し、 また少なくして、前回の減薬時よりも更に少なくしてまたもとに戻す、というように、増減を繰り返しながら、長期的には全体として服用量が減るようにして 減薬していきました。
    時々強い動機が起こることがありましたが、あまりきにせずに過ごすようにしました。 幸い職場では、 業務の都合上 一人部屋のようなところに篭ることが多くなり、のびのびと仕事をすることができたため、仕事中の発作もほぼなくりました。

    最も強い違和感が最後まで残ったのは、夜の就寝前の動悸と不安感です。 このまま寝てしまうと、 翌朝目が覚めないかもしれない(寝ている間に死んでしまうかもしれない)という不安もありましたが、翌日の仕事もあるし、 なんとか寝れてしまうので、乗り切ることができました。
    ゾロフトの減薬と同時に自分に言い聞かせたことは、デパス(ジェネリックではデゾラム)は 絶対に服用しないということでした。 私の場合はデゾラムを服用すると、気分が落ち着くどころか一気に眠くなってしまい、 仕事も手につかず、翌日にも強い疲労感を残すことになるのです。 医者は、「辛ければ飲んでもいいよ」 と言っていましたが、我慢しました。  しかしこの頃の私がガマンできたのは、最悪の状態を経験して、それを覚えていたからです。 あの 「死の恐怖」 に勝るものはありません。  あの状態に近くなったら、飲むのも止むを得まいと思っていましたが、そこまでに至ることはほとんどありませんでした。

    このころ、職場環境が変わりました。 客先のベンダー常駐席という孤独で窮屈な環境での 拘束状態から開放され、かなり古くからよく知るメンバーが多くいる部署に異動となりました。 乗る電車が変わるなどの 環境の変化がありましたが、とても楽しく、また自分の席がある (自分の居場所がある) という安心できる環境での生活で、 強い動悸を伴う発作は劇的に減少しました。

    こんなふうにしながら、ジェイゾロフトを毎日100mg服用する状態から減薬を続け、週4日程度は50mg、 週3日程度は25mgにまで減らすまでになりました。


◆ 【再びの冬、春先に突然の強い発作】 2013.2〜2013.5 ◆
    私はパニックが冬に起こりやすいものであると理解していました。 私は冬が嫌いだし、夏は不安が遠のきます。  一般的にも、パニック障害は冬に発作が起こりやすいものです。 冬場は減薬のペースを緩やかにしました。 案の定、  発作に近い動悸がよく発生しましたが、やり過ごしました。

    家族にも救われました。 このころ、1歳の娘が立って歩きはじめ、表情豊かに愛嬌を振り撒くようになったのです。  子供のことを考える時間が多くなったことが、発作の頻度を低くしたり、発作の自覚を少なくすることにつながったのではないかと考えています。

    春になり、そろそろ減薬から断薬に移行しようと考えていた矢先の2013年の5月19日、またも強い発作に襲われました。  それはプロジェクトの一つの山場でした。 守秘義務上詳しくは書けませんが、私は現場に入って指揮をとることになりました。  週末、事前作業で現場に入り、深夜まで仕事をした後、土曜日は自宅で、日曜日の本番作業に向けて大量の資料やタイムチャートに目を通しました。  スケジュール通り進めば大丈夫ですが、一つトラブると連鎖的に作業が滞って大惨事になり兼ねず、一つ一つの工程に万全の準備をしました。  大きなやる気と強い不安が入り乱れる中で緊張し、日曜日の早朝起きたら軽い発作状態でした。
    私は、この状態はある程度覚悟していました。 「本番作業」、「現場」、「正念場」、「自分が旗振り」、「早朝からの作業」  というスチュエーションで発作が起きないほうがおかしいだろうと思っていましたので。 しかし思ったよりも発作は強く、 現場で病気の姿を見せる訳にはいかないと思い、出勤前にトリプタノールとジェイゾロフトを一日に服用可能な上限一杯まで服用しました。  しかし症状はほとんど改善しませんでした。 現場では気丈に振る舞いながら、何度かトイレや階段の踊り場でしゃがみ込んで休んでいました。  幸い、現場作業員の人たちの技術とがんばりで、目立ったトラブルもなく作業は終了し、帰宅する頃には症状はほとんどおさまっていました。
    今回の強い発作の原因は自身の気負いと緊張のせいだと自分でもはっきりわかっていたので、そのまま減薬を続け、 2013年5月22日を最後に断薬しました。


◆ 【断薬】 2013.5.23 ◆
    この冬、強い発作が発生しなかったこと、強い発作の起こることが自分でも予測できたこと (つまり、準備やコントロールが可能であること) がはっきりしてきたので、断薬を決行しました。 とはいえ、 これまでの減薬の過程で服用量を漸減させてきたので予定通りのことではありました。 しかしジェイゾロフトの服用を開始してから 今日までの間に、服用量を3日間以上完全にゼロしたことはとなかったので、どうなることかという気持ちもありましたが、 薬の在庫はまだ豊富にあったため、いざとなればすぐに断薬を中断すれば良いという程度に軽く考えてスタートしました。

    結果的には経過は良好で、その後しばらくは症状に目立った変化はありませんでした。  しかし断薬から半年足らずで残遺症状が再発するのです。




                

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