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眼瞼下垂治療の顛末A

−     34歳     −



◆柏眼科クリニック@ ( 初診 ) ◆
   数日後、彼女(今のカミさん)は地元の市の中心駅の近辺にある眼科を紹介してくれました。 私は先ずwebページを確認しました。とても清潔感のある院内の写真が出ていました。 彼女は以前ものもらいにかかって、その眼科で治療してもらったときに、 とても感じが良かったのでと、私に紹介してくれたのでした。 その眼科は、市の中心駅近くの雑居ビルの1フロアをぶち抜いて作ったようなところで、 ちょっと不安ではありましたが、家から近いことだし、 無駄ではないと思って受診してみることにしました。

   2006年4月25日、私は実家の駅の隣の駅である市の中心駅で彼女と待ち合わせをし、 デートがてらにその眼科を受診しました。 待合室にはものすごく大きなプラズマテレビ ( たぶん103型 ) が置いてあり、 前から見たいと思っていた環境ビデオが再生されていました。私はちょっと徳をした気分になり、 そのおかげで待ち時間はそれほど苦になりませんでした。 視力、眼圧などの基本検査を終え、診察となりました。
   若い(または若く見える)女性の先生でした。 私が眼瞼下垂を治療したい旨を伝えると、現状の把握のための問診をいくつか行い、 治療の方法、金額、治療の実績と予後についてテキパキと、しかし分かり易く説明してくれました。 治療の理由についても訊かれましたが、「結婚を機に」という私の言葉に、先生は軽く頷いただけでした。 ホームページの説明では院長は男性のはずでしたが、周りを見ても男性は一人も見あたらず、他の医師、 看護師のすべてが女性でした。無駄な動きや嫌味がなく、診察室も清潔感があり、 電子カルテが映し出されたパソコンの画面も、患者に見えるように設置されていました。
   私は2〜3の質問をしましたが、納得のいく説明がきちんと帰ってきたことと、 患者の前例をひきながら、リスクについてもきちんと説明したこと、そして何よりも、 妙な胡散臭さを感じなかったことから、その病院で治療を受けることに決めました。

   そして先生の口から意外な言葉が
先生:「じゃっ、次回手術と言うことで」
dicdic:「えっ! そんな早いんですか?」
先生:「はい」
先生はニコニコしながら答えてました。嬉しい反面、あまりにもアッサリとしすぎていて、 かえってビックリしました。瞼にメスを入れるというのに、 心の準備にもっと時間がかかるのではないかと弱気になったほどです。 「会社を休んで井上眼科に行き、何時間も待って、何も成果が出なかったことと比べて、 この急展開は一体何なんだ?」 と、笑い話のようにも思えました。






◆柏眼科クリニックA ( 手術当日 ) ◆
   2006年6月5日、私は手術に臨むため、柏眼科クリニックへ母と一緒に行きました。 付き添いは不要かと思われましたが、帰宅時には視力が一時的に落ちて、 足下がアブなっかしくなると思い、母がついてきてくれました。受付を済ませると、診察室の奥にある 手術室へ案内されました。ただの雑居ビルの一室だと思っていましたが、 手術室はごっつい鉄の自動ドアに仕切られた、なかなかしっかりした部屋でした。 それだけ見ても、安心感が持てました。手術前に看護師さんがやってきて、 術前と術後を比較するための写真を撮りました。

   私は担架に乗せられ、手術室に入りました。すでに2人の女性の看護師と先生が 準備についていました。前回診てくれた女性の先生が執刀医として入り、 慣れた手つきで手袋をはめて、手術が始まりました。先ず目尻の上あたりから局部麻酔を注入し、 メスが入りました。意識はハッキリしていて、先生の会話がしっかり聞き取れました。
手術は、まぶたの内側の筋肉を糸のようなもので吊ってまぶたを揚げる方法で、目を開いたり、 閉じたりしながら、ちょうど良い位置に微調整していくという方法でした。

   「こんなもんでどうかしら」と先生が言いました。先生の指示に従い、 目を開けると、周りの医師や看護師達が「わぁ〜」とどよめく声が聞こえました。 目がパッチリと開いているのが私にも分かりました。 開いたときの眼の大きさは、左右ぴったり同じになったようです。しかし先生の呼びかけに応じ、 今度は目を閉じてみますと、「う〜ん」という先生の声が。その理由は私にも分かりました。 パッチリ開くようになったものの、 今度は完全に閉じることができなくなってしまったのです。 先生は、「ドライアイの原因になってしまって、かえっていけない」と説明した上で、 「残念ですけど、少しだけ戻します。」と言って、再調整し、閉じることができる程度まで 戻しました。先生はとても残念そうでした。 術前の説明で聞かされてはいましたが、実際にそうなってしまったことは、私自身残念でした。 最後に切開したところを縫合し、手術は終了となりました。術後はまぶたが腫れており、 一重まぶたのようになってしまっていましたが、腫れがひけば自然と二重に戻るとのことでした。

   日帰り手術です。眼帯をし、替え用の消毒ガーゼなどを数枚もらい、 一週間後の6月12日に抜糸する予約をとり、帰宅しました。 一週間、眼帯をしたまま通勤しましたが、片目で生活すると大変目が疲れます。 仕事中は眼帯を外し、両目でパソコンをいじってました。

手術直後の写真です。
(携帯電話のカメラで撮影)
手術直後の様子



◆柏眼科クリニックB ( 抜糸 ) ◆
   2006年6月12日、抜糸し、眼帯から解放されました。 この後やく一ヶ月後にも予後受診しました。
   この眼瞼下垂の手術が、私の人生で最初の手術になりました。 この翌月に肺気胸になり、人生2回目の手術となるのです。 今考えると、2006年という年は、結婚を前に、 健康上の様々な膿を出した時期と言えたかもしれません。

現在 ( 2008年10月 ) の写真です。
手術後
若干充血しているのは寝不足のせい...。 (^^;



眼瞼下垂治療の顛末A                  まとめ

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