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眼瞼下垂まとめ





◆まとめ◆
   治療の顛末をながながと書いてきましたが、要約するとおよそ次の通りになります。

2006年 3月  1日         信濃町眼科受診、井上眼科への紹介状を入手。
2006年 3月 13日        井上眼科受診、次回専門医に診てもらうことに。
2006年 4月  1日         井上眼科受診、治療の是非を考え直すよう促され、振り出しに戻る。
2006年 4月 25日        柏眼科クリニック受診、詳細な説明と手術の日程調整。
2006年 6月  5日         手術当日
2006年 6月 12日        抜糸
2006年 7月 12日        予後診察

     私はまぶたの内側の筋肉を吊ることで、 左右の眼の大きさを"ほぼ"同じにすることができました。 「ほぼ」というのは、 顛末Aのページで書いた通り、まったく同じ大きさにすることも可能でしたが、 開きすぎてしまって閉じなくなってしまうため、まったく同じ大きさに 仕上げることができなかったのです。 しかし私は、今回はこれで十分だったと満足しています。 治療費は、柏眼科クリニックだけで約3万円弱でした。 (症状や施術方法などにより、違いがあると思います。)
     下垂の程度や治療方法にもよるかもしれませんが、術後の結果に 納得がいかなければ何度でもやり直しが可能のようです。
手術前
手術前

手術後
手術後


     私が手術をしようと決めた病院は、 院長は男性の医師でしたが、私を診て執刀してくれた先生を始め、 職員の多くは女性でした。これは後から思ったことなのですが、 女性は人の顔をいじると言うことについて、男性よりも慎重で、 真剣に捉えてくれたと思いました。とはいえ、柏眼科クリニックは 美容外科ではなく眼科です。柏眼科クリニックは近視や乱視の治療を得意と しているようで、私の見る限り、ホームページでは「眼瞼下垂」という言葉は どこにも見あたりませんでしたが、私の診察に臨んだ先生が、初診の日に 手術の日程を決めてくれたあたりを考えると、眼瞼下垂の手術というのは いまや眼科ではポピュラな事例なのかもしれません(私の推測です)。

     井上眼科の対応はどういうことだったのでしょう?
本文の中でも書いたとおり、私は小学校に上がる直前、母に連れられて 井上眼科を受診していました。検査は大変精密で、丁寧に時間をかけて 受けた記憶があります。もう30年近い昔ですが、女性の医師に、
「ボク、おメメ治さなくていいの?」
と訊かれたことが記憶に残っています。
「子供のうちに治してしまおう」というのがお茶の水眼科の方針だったのかもしれません。 たまたま当たった医師による治療方針の違いでもあったでしょう。 いずれにしても、井上眼科での受診は、大人になった私にもう一度手術の動機を 整理させる機会となり、そのおかげで、迷いなく手術に臨むことができました。 会社を休んだり、長時間待ったりと大変でしたが、井上眼科での受診は無駄ではなかったと思います。
目から入る情報は脳が得る情報のうち90%を占めるほど、「目」は重要な情報の入り口であり、 同時に、「目は口ほどにものを言う」という言葉の通り、「目」は他人に自分に関する情報を 暗黙のうちに与えている情報の発信源でもあるのです。その「目」を扱う眼科の責任も大変重いものであると 言えます。

     このページをごらんになっている方は、 自身もしくは近親者が眼瞼下垂だという方が殆どでしょう。 このコーナーの冒頭にも書いたように、眼瞼下垂は失明に至るような病ではありません。 片目の眼瞼下垂の多くは生まれつきの障害であり、しかも自然治癒するものではありません。 自分のミスで怪我をしたわけでもなければ、 誰かに傷つけられて起こるものでもないだけに、誰も恨むことができず、 見た目の評価に苦しむ ( 特に思春期 ) という辛い宿命を負わされて生きなければならない人の気持ちは、 このページをごらんの方ならよくご存じでしょう。

     見かけだけで人を判断する人は多いものです。 私はそうした人を多く見てきました。小学校の先生でさえ、私の顔を見た瞬間に 「ウゲッ」という顔をする人もいました。しかし私はそのおかげで、子供の頃から、 友達に対しても、大人に対しても、「この人は僕の目を見てどう思っているだろうか」 ということをほんのちょっとした表情の変化や目つき、視線、言葉の抑揚で、 知ることができるようになりました。私はかえって、治療を大人になるまで待って 良かったと思っています。

     小学校はもちろん、中学校でも、 眼瞼下垂を理由としたイジメに遭いました。 高校でも、私の顔を見て、露骨にイヤな顔をする人がいました。 大学や卒業後につとめていた学習塾では、私の目に不愉快な態度を 示す人はいませんでしたが、その後の職場でも、 私の顔を見て露骨にイヤな顔をする人がいました。 そういう人間はどこにでもいるのです。 しかしそういう人間をよく観察することが大事なのだと思います。 そういう人間が、実はいかに下らないことを基準にして物事を評価しているか、 それを知ったら、逆に正しい「ものの見方」が備わってくると思うのです。 こうして、本当に正直な人、本当の意味で賢明な人を見極め、 そうした人と、本当に気の置けない友達になることができるかもしれないのです。 私にはそういう友達がたくさんいます。私の眼瞼下垂は治りましたが、 人の内面を見ずに無礼な態度で接する人たちに対する怒りの心は忘れないようにしたいと思っています。




◆ 眼瞼下垂に関わるすべての方へ ◆

    いま私に備わっている特性のうちいくつかは、生まれ持った眼瞼下垂のお陰で獲得できたものです。
    何度も書いてきたように、私は眼瞼下垂のお陰で、「見かけで判断しないこと」 がいかに大事かを知り、眼瞼下垂のお陰で「人の気持ちを理解すること」「気持ちを理解してくれたひとへの感謝を忘れないこと」が、 いかに今の世間で求められているかを正しく理解でき「世間には、人を傷つけることを大人になっても平気でする人間がいる」ということを知り、 そういう人への対応の仕方を学びました。そして、 「何が正しいか」を自信を持って説明できる自分に誇りを感じることができるようになりました。
    眼瞼下垂という教師と別れを告げた今、「自分にない障害、あれが自分のものだったとしたら」という視点から ものを考えることができるように努力しようと思っています。

        私は、眼瞼下垂を治療して良かったと思います。
        私は、眼瞼下垂の治療を大人になるまで待って良かったと思います。
        私は、眼瞼下垂に生まれてきて良かったと思います。
    個々には個々の事情があります。様々なケースがあり、「治療すべきか否か」、「いつ治療すべきか」ということを一概に 述べることはできません。私の例から一つ言えることがあるとすれば、眼瞼下垂で生まれたという宿命にも、それと共に生きるという運命にも、 治療するという運命にも無駄はなかったということだと思っています。
    いま眼瞼下垂とたたかっている方、すでに眼瞼下垂と共に生きることに馴れきってしまった方、 眼瞼下垂の方と関わる家族や友達の方々が、 「眼瞼下垂自体が幸不幸を決めるのではなく、それと向き合う態度と過程が大切なのだ」と 思うことができたらと願っています。

【謝辞】
このページの公開にあたり、 「がんけんかすいの広場」管理人のおーば様に大変お世話になりました。
この場を借りて感謝申し上げます。




眼瞼下垂治療の顛末A                  dicdicのホームページ

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