大澤真幸先生の『不可能性の時代』 を読みました。
読み始め、冒頭の文章にガツンと
一発ぶん殴られたような衝撃が。
現実(リアリティ)は、常に、反現実を参照する。われわれにとって、現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現れている。意味の秩序としての現実は、常に、その中心に現実ならざるものを、つまり反現実をもっている。すなわち、現実の中のさまざまな 「意味」 は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。 大澤真幸 『不可能性の時代』 冒頭
冒頭からコレです。意味がサッパリ分かりません。
とんでもない航海に乗り出してしまったと思いましたが、
大澤先生の文章は、読み進めるほどにスッキリするような
キモチ良さがあり、今回もちょっとそれを期待して読み進めました。
理屈づけに大量の紙面を割くので、ともすると、本題を忘れがちに
なってしまいます。そのあたりに気をつければ、大変面白い
本だと思います。
宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗、オタク、『砂の器』など、さまざまな
側面から戦後と現代を分析します。
社会学者とはいえ、過去の考察と現状の実況中継は
すごいものがありますが、「なら、今後どうなっていくのか」
ということになると、ハッキリとした結論は出しにくいようです。
結論 (というか巻末) にかろうじて、今後の人間社会の
ありかたを示すくだりがありますが、ちょっと自信なさげで、
尻窄みという感じ。
でも、久しぶりに読み応えのある文章を堪能しました。
大澤真幸先生の魅力 (というか謎) にとりつかれた状態は
まだまだ続きそうです。
2009/01/25
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