「アルジャーノンに花束を」を読みました。
読み始める前に、Amazonの書評に目を通しました。
「泣ける」、「号泣きした」、「涙が止まらない」という感想が多く、
私もちょっと期待しつつ読んでいましたが、
ついに最後まで、涙は一滴も出ませんでした。
題材としてはたいへん面白く、内容もそれなりに素晴らしいものでした。
しかし、私のアタマの中では、
「精神遅滞者の『自我』とは、果たして本当に、このようなものなのだろうか」
という疑問が最後までつきまとい、天才になる前の「経過報告」にも、
天才でなくなった後の「経過報告」にも、違和感を感じていました。
精神遅滞者の方が『自我』について語ることがない以上、
それを知る手がかりはありません。アルツハイマーなどで精神が後退していく
人たちにも同じことがいえると思います。
しかしこの小説の中での描写は、「遅滞」や「後退」というより、
むしろ「子供返り」に見えるようなところがあり、その点が最後まで
違和感として残りました。
日本語の句読点や漢字を端折ることで、「遅滞」を表現した訳は
素晴らしかったし(読み辛かったけど)、天才になってゆくにしたがって、
周囲の人々の態度が変わっていくシーンは痛快でした。
あまりの急激な変化に、「以前のチャーリィ」と現在のチャーリィが
分離してしまっているような錯覚に陥っているところなどは
とてもリアルで身震いがするほど。
「精神遅滞者」−ともすればタブー視されるような微妙なテーマです。
「キレイな」小説に仕立て上げてしまっていますが、もう少し生々しく、
ウォレン養護学校の視察のシーンのようなリアルな記述がもっと
多くてもよかったのではないかと思いました。
私の卒業した小学校では、チャーリィのような児童が
何人かいましたし、近所にも住んでいました。
そうした子供たちの現実を多く見て育ってきた私としては、
感傷的になって「泣ける」ような作品ではありませんでしたが、
単純に「SFもの」として読むぶんには楽しめる作品です。
登場人物も少なかったし。
2008/12/27
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