Home > ランニング トップ > 体力の無さとどうつきあうか

体力の無さとどうつきあうか

    日常生活の中でも、「体力」という言葉はよく耳にするものです。 では、「体力」とは何でしょうか? 「力」という字が入っていますが、『何キロの物を持ち上げる』とか、 『喧嘩に強い』と言うような「力」ではないような気がします。

    「アイツは体力がある」
と言う時、「体力」とは、生きる力、生命力に関わる部分のことを指す場合が多いのではないでしょうか?

    そういう意味では、私は決して「体力」にみなぎっているほうではありません。毎週のように20km近い距離を 踏んでいますが、余裕で走り通しているわけではないのです。
    ランナーとして走るのに必要な力と言えば、
「筋持久力」
「脚筋力」
「心肺能力」
    あたりが、パッと思い浮かぶと思います。私に関して言えば、脚筋力以外は平均並みか、それ以下だと思いますが、 毎週20kmもの距離を踏むことができるのは、走る前からの栄養管理と、走り出してからのペース配分に細心の注意を払っているからです。 脚筋力だって、トレーニングによって培ってきたものであって、生来のものではありません。

    「自分には体力がない。それは走り始めて何年もたった今でも殆ど変わりない」と 感じることはしょっちゅうです。たとえば−
◆ちょっとペースを上げるとすぐに息が上がる。
◆タイムがちっとも伸びない。
◆毎年インフルエンザに感染
◆いつも血圧が低い。最高血圧が100mmHgを切る
◆いつも貧血
◆ランニング中に、よくハンガーノックを起こす

ここまで走り込んでいるのにどうして改善しないのでしょう?
「筋力」は、訓練によって鍛えることができると思います。
「体力」は、訓練によって鍛えることが難しいと思います。
なぜ、「体力」の訓練はうまくいかないのでしょう?    それは、「体力」を鍛える訓練方法自体が難しいからだと思います。
    いくら走り込んでも心肺能力が向上しないのは、心肺能力をアップさせるような負荷のかけ方をしてないからです。 これには専門のコーチがつくか、ちょっとした装置を使わなければなりません。この装置がまた高額なのです。
すぐにハンガーノックを起こすのも、エネルギー交換の能力をアップさせるような負荷のかけ方をしてないからです。
    ハンガーノックを起こして道ばたにしゃがみ込むたびに思うことは、「あんなに食べたのに何故?」ということです。 食べたものが、走るためのエネルギーにしっかり変わっていない。便として体を素通りしてしまうか、贅肉になってしまう。 使われてくれないのです。ですから、私の場合は食べたばかりの栄養がすぐに使われるように、食べた後にすぐに走るしかなく、 そのエネルギーが切れたときには贅肉を分解するしかありません。脂肪燃焼は固形状の組織を分解する作用ですから、 大変な苦痛と時間を伴います。しかし、それすらも追っつかないと失速してしまうというわけです。

    私のように、体力が無いと自覚しながらも走っている人はいます。私も、体力をつけることが ランニングを始めた理由のひとつでしたが、今では少し考えが変わっています。 「体力がない」という事実を受け入れながらも、目標を走りきるために工夫をする。 仕事をはじめ、日常生活に支障を来さないように加減する。アタマをつかう。自分の特性を把握して、 そいつとうまくつきあっていくことを考える。ここに市民ランナーとしての醍醐味の一つがあると思うのです。 だから、走ることは一部の才能ある人の楽しみだなんて思わずに、一人でも多くの人にやってみてほしいのです。

絶好調と絶不調                  不確定志向性について

感想をメールください感想、ご意見をメールください。


Home > ランニング トップ > 体力の無さとどうつきあうか
inserted by FC2 system