ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル | |
【経歴・受章等】 イエーナ大学講師 イエーナ大学教授 ベルリン大学教授 ベルリン大学総長 (1830年) 【主著】 『精神現象学』 『法哲学(綱要)』 |
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Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770.8.27 - 1831.11.14 ドイツ |
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【思想の概要】 (主と奴) 人間関係においては双方の欲求が常に満足することは難しい。互いの主張が対立した結果、そこには「主と奴」、つまり「優劣」という非対称性が発生する。では必ずしも、「主」が優位にあるかというと、そうではない。「主」は「奴」に承認され続けなければ、「主」でい続けることができない。また、「主」はすでに充足してしまっているが、「奴」は充足したいという思いから、「成長」や「変化」を生み出すことができる。そんな希望を持てるという点では、「奴」は幸福であると言えるのだ。 (他者との承認ゲーム) 「私の存在」を確認するためには、「他の存在」が必ず必要になる。他との関係性においてこそ、私は存在するのである。 逆説的な言い方ではあるが、自分が自分であるためには、自分をいったん否定し、他を承認し、他者に承認されなければならないのだ。 (否定の否定) カントは「〜すべき」という論を展開(定言命法)したが、私は「〜したい」という点から人間の本質に迫った。その「〜したい」(欲望)には、「動物的欲望」と「人間的欲望」の2つがある。動物的欲望というのは、それこそ「動物的」。つまり生命維持のために他者を破壊し否定するものであるのに対し、人間的欲望は、他者を必要とし、承認することで、自分を「創造」しようとするものである。 (自由たろうとすること) すべての人が 「善きこと」 を目指して生きるべきだとするカント的な考えでは、万人が唯一の理想的状態に向かうような社会になってしまい、結局、人間の精神の自由が無視される無内容な社会になってしまう。 万人が 「正しい人」 になることを目指す社会ではなく、万人が自分の望む生き方を求めることができ、しかもそのことが互いの幸福の追求を侵しあわず、むしろ相互に支えあうことができるような社会の仕組みを考えることが重要である。 |
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【キーワード】 弁証法 止揚 絶対精神 理性の狡智 |
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【関連人物】 ケプラー |
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【ピックアップ解説】 人間の本質 人間の本質は精神(理性)である。 すべての物事は、この絶対精神の自己運動の結果として説明できる。 社会も国家も歴史も、すべては精神が現実の中に自己を具現したものだ。 弁証法 (否定を媒介しながら互いを保有し、乗り越えてゆく方法) 第一段階 (「正」(肯定、テーゼ)の状態) 一応安定の状態を保っているが、内部には必ず矛盾をはらんでいる。 しかし、矛盾はまだ表面化していない。 ↓ 第二段階 (「反」(否定、アンチテーゼ)の状態) 矛盾が増大し、表面化する段階。 ↓ 第三段階 (「合」(総合、否定の否定、ジンテーゼ)の状態) 「正」と「反」が否定しあいながらも、双方の全面否定ではなく、互いを生かしながら新しい段階(「合」)へと乗り越える。 これを「止揚」(アウフヘーベン)という。 この繰り返しによって発展していくのである。 理性の狡智 社会や歴史とは、絶対精神が自己を実現する弁証法的発展の過程にほかならない。 どういうことかというと、絶対精神が歴史上の民族や英雄を、道具として、手段として利用したにすぎないということだ。 ひどい言い方をすれば、歴史上の人物の行動は、歴史の背後で歴史を支配している世界精神に操られた行動にすぎないというわけだ。 ちょっとオカルトチックだが。。。。。 国家 国家は家族と市民社会の矛盾を克服し、止揚した人倫の発展段階の最高のものである。 だから個々人は、国家の成員であることによってのみ、倫理的、道徳的でありえる。 |