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◆ 【初診】 2012.2.13〜2.14 ◆
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翌週月曜日、2012年2月13日、近所のSクリニックで診てもらいました。
町医者ですが、K病院などよりよっぽど信頼できます。 症状を訴えると、まず心電図をとられました。 心電図に異常はありませんでしたが、先生は 「不整脈の疑いがある」 と言いました。 「不整脈」と、「気が遠くなる」ことの関係を尋ねました。 すると、「アダムス・ストークス症候群といって、不整脈が原因でアタマに血が回らなくなり、気が遠くなることがある」 と説明され、私も納得しました。 この日の心電図 先生は、ホルター心電図(24時間心電計) を使った計測をしてみることを勧めてくれたので、その予約をとりました。 その翌日、往きの通勤電車で発作に襲われました。 気が遠くなり、倒れそうです。 耐えかねて一度電車を降り、おさまるのを待って、その次の電車に乗って出勤しました。 この時、まだ私は心臓の病気だと思い込んでいたので、 こんなところで倒れて、そのまま死んでしまったらどうしよう という不安にさいなまれながら日々を過ごしました。 職場の同僚もみな理解してくれ、もしもの時の対応も承知してくれました。 |
◆ 【発作時の心電図】 2012.2.16 ◆
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Sクリニックで診てもらってからわずか3日後日の2012年2月16日ことです。
無事に仕事を終えて家に帰りつき、夜食を食べた後、テレビを見ながらコタツでゴロゴロしていると、 心臓がキューーーっと締め付けられるような感覚に襲われ、次第に気が遠くなりました。 「またきた!」 今度はかなりつらいです。 心臓が悪いと思い込んでいた私は、左胸の感覚を時折確認しながら、 「心臓は動いている」 とつぶやきながら柱にもたれて宙を仰ぎ、顔を歪めていました。 意識がいよいよ落ちそうになり、 「もうダメだ!」 と言った時、カミさんが救急車を呼ぼうとしましたが、またK病院に連れていかれることを恐れ、 私は自分でSクリニックに電話しました。 診療時間はとっくに終わっていましたが、 先生は電話に出てくれた上、 「今すぐ来てください」 と言ってくれたのです。 私はカミさんとともに車に乗り込み、カミさんの運転でSクリニックに向かいました。 今日は生後6ヶ月の娘が一緒です。 信号待ちの一つ一つが命のハードルに思えました。 Sクリニックに着く少し前から、全身の震えが始まりました。 Sクリニックに到着すると、薄暗くなった階段上から先生が現れ、私はすぐにベッドに横になりました。 先生は、心電図の計器をひとつひとつ落ち着いた様子で私の体に取り付けながら、 「これはすごい筋電図がとれるぞ」 と言いました。 計測はすぐに終わりましたが、先生は何も騒ぐことなく、 「うーん...」 と言うだけ。 私が、 「異常なしですか?」 と尋ねると、先生はあらたまったように、 「まぁ、ちょっとこっちへ来て話をしましょう」 と言い、2人で診察室に戻ってきました。 「神経だね」 「へっ?」 「だって心電図は異常ないもん」 発作時の心電図 確かに、体が震えていたためすごいノイズの波が出ていたものの、 心拍を示す波は規則正しく打たれているのが、私にも読み取れました。 「先生、これは一体.....」 震えは止まりかけていました。 「ヒステリーでしょ」 「へっ? だってテレビ見ながらゆっくりしていただけなんですよっ?」 「なんかあったんでしょ」 「いやぁ....」 「まぁ、今日は安定剤だしておくから、ウェルシアならまだやってるよ」 「はぁ....」 「大丈夫。 よく効きますヨ。 ホルター心電図は、せっかく予約したんだから、一応やっておきましょうよ。 でも、今日のがホントに不整脈だったら、大変だったよ。」 先生はなんと、私が来院するまでの数分間の間に、県内の大病院2つに、受け入れのアサインをして下さっていたのです。 「ヒステリ」 という表現には納得できなかったものの、この先生の対応を見て安心しました。 薬局に移動するころには震えは止まっていました。 処方されたのはデパス(エチゾラム)の一種、 「デゾラム」 で、精神安定剤の一種です。 薬局の店頭で出されてからすぐ、一錠飲みました。 自宅に戻ったのは23時過ぎです。 カミさんと、「心臓でないとしたら、一体何だろうね。」 などとあれこれ話しているうちに、 猛烈な眠気が襲って来ました。 「もう寝なきゃ」 と立ち上がり、歩き出しましたが、 フラつき、今にも転びそうでした。 生まれて初めての精神安定剤でした。 |
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