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減量による障害
「減量が原因」 というよりは、「無理な運動」 が原因.....。

脛と膝 (2003.6〜2003.8)

 初期の運動は、坂道ダッシュ、100メートルダッシュ、筋力トレーニングなどのメニューで行いました。
最初の故障は両足の脛と膝にきました。歩行が困難になるほどでした。 脛には安静時からジンジンくるような痛みがあり、膝には走るときに痛みがありました。 テーピングの技術や、運動強度に関する知識が皆無だったので困惑しました。 結局、高い強度のトレーニングは高負荷であるという判断から、長距離のトレーニングに移行することを 検討せざるを得ませんでした。


筋肉痛 (2003.7〜2003.8)

 歩行のたびに大体筋に激しい痛みを生じました。走るときにはこらえきれないほど痛く、 ランニングを中断するときもありました。


骨に響くような激しい痛み (2003.8〜2004.2)

 今思えば、疲労骨折だったのかもしれません。最初の痛みは左足の脛でした。 それをかばって運動した結果、右足のまったく同じ部位をやられました。 前傾姿勢をとるとかろうじて痛みを忘れることができ、 歩くよりも走っているときのほうが痛みが楽になりました。
 やっと両足の脛の痛みが治まった頃、今度は足の裏にきました。人差し指の付け根が、設置の度に激しく痛みました。 最初は右足だけでしたが、そのうち左足のまったく同じ場所が痛み、しばらく続きました。 歩行も困難な状態で、特に階段を下りる際に激痛が走りました。 2003年の暮れから年明けにかけては痛みが特にひどく、走っていると痛さと寒さで涙が出てきました。


脱毛 (2003.9〜2003.11)

 走りながら感じる苦痛は、2003年秋には影を潜めました。運動に体がなれてきた証拠です。 しかし逆に、安静時や社会生活を営んでいるときに感じる苦痛が始まりました。
 その第1発目が脱毛です。毎晩洗髪時に、風呂場で大量の脱毛が確認されました。洗髪後も頭をかきむしって、掌を見ると、 大量の毛がついていました。最初は、強度の高い運動からくるストレスではないかと心配しました。 しかし、当時は疲労骨折などの外科的な障害ばかりで、心理的なストレスや内科的な障害を感じることは殆どなかったことと、 外見上も髪の毛が減ったようには見えなかったことから、頭皮の表面積の減少に伴う毛根密度の調整ではないかと 自分で勝手に解釈しました。実際にその通りかどうかは不明ですが、 体重の減少が落ち着いた頃から、脱毛はビタリおさまりました


尿蛋白 (2003.9〜2004.9)

 健康診断の尿検査で、ウロビリノーゲンが+に転じました。尿蛋白です。 タンパク質、つまり筋肉が流れ出しているということを意味します。栄養不足の悪夢の始まりです。
 尿蛋白が出るということは、糖分、脂質の代謝だけではエネルギー生産が追いつかず、 筋肉を溶かし出してエネルギー生産せざるを得なくなった状態であることを示しています。 長距離ランニングを習慣にしている人の場合、尿蛋白が出る場合がありますが、この状態が長く続くと、 造血のための蛋白質が不足し、貧血を誘発します。
 この後、プロテインローディングを実践し、2004年9月の健康診断では、尿蛋白は検出され なくなりました。


白血球の増大 (2003.9〜2004.9)

 献血をするために柏そごう別館5階の献血センターに行きましたが、予備検査(献血者が健常な血液の持ち主かを調べる検査)で、 「お宅は白血球が多すぎるので献血できません」と宣告されました。 献血センターの看護婦さんがよってたかって白血球が多くなった理由を「あーでもない、こーでもない」と話し合っていました。
 長距離ランニングを常習している人の場合、コルチゾールというホルモンの分泌が 活発になることから、白血球が増大することは知っていましたので、特に心配はしていません。この状態は今も続いていますが、 日常生活に特に悪影響を及ぼしているようには思えません。
 体が慣れたせいか、2004年9月の健康診断では、白血球量に異常は検出されなくなりました。。


低血圧 (2003.11〜2004.3 秋から冬)

 高血圧の人がマラソンをはじめた結果、血圧が正常値に戻ったという話はよく聞きます。 しかし私の場合、もともと最高血圧が100もありませんでした。走行距離が伸びるのに従って、みるみる血圧は低下しました。 最高血圧が80を下回り、立ちくらみが頻発しました。


スポーツ性貧血 (2003.10〜2004.8)

 長距離を走ると、大量の発汗が起こるため、鉄分不足を招きます。また、私の場合は尿蛋白があるため、造血作用が弱く、 貧血になりやすいのです。これが低血圧の原因の一つになっています。鉄タブレットを補給すると症状が改善しますが、 症状の改善は一時的なもので、すぐにだるくなりました。
 自分の体をモルモットにして、鉄分補給を適切なプロテインローディングと組み合わせる研究をしました。 適正な配合比・摂取量と体調の関係を監視し続けました。2004年の夏になってようやく適正値が見つかり、貧血を脱しました。 プロテインは朝昼晩の3回摂取、鉄分は朝昼晩の3回の他、口寂しいときのおやつとしても摂取しました。


低体重 (2003.10〜2004.3)

 かかりつけの医者の前でシャツを脱ぐと、「このままだと栄養失調になるよ」言われました。 その時は57kgで、最も体重が落ちたころです。BMI値は18.5未満でした。私の場合はもともとデブ用に設計された骨格だったので、 骨格も含めて57kgというのは、明らかに軽い飢餓状態でした。
 骨格も考慮に含めた上で、適正体重をはじき出してもらったところ、73kgという数字が出てきました。 この数字の大きさには、「死ぬよ」と言われたことよりも衝撃的を受けました。せっかくやせた体をそこまで戻すのはあまりにももったいないと思いました。 しかし実際、その後も体力は減少し、62kgまで戻った現在でも、スタミナ不足が抜けない状態です。
 長距離を走るためには軽いからだが必要です。73kgは明らかに重過ぎます。体重は何とか70kg以下で抑えて、足りない分のスタミナは 栄養学でフォローしようと考えています。

減量して美味しい目にあったことといえば                  体重減少ストップのタイミング

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