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世界分節とデータベース

 冷蔵庫に入れていた白菜に花がついてしまった。
カミさんがその花を切り出して玄関に飾った。
見た目が菜の花そっくりで、知らずに見たら 茎がちょっと太いと感じるくらいでほとんど区別がつかない。

で、webで調べてみた。 どうも、菜の花というのは特定の種を表す語では ないらしい。 菜の花=アブラナだと思っていた私にとっては発見だった。  データベースを扱う現場にいると、こういう 「種の細分化」といった発見が、 生活の上での何気ない一場面とは済まされなく感じるようになる。  このような細分化(分節化)と、グループによる括り(仲間分け)が、 データベースの設計の上で重要だからだ。 それはどういうことか。

 我々が何か物を見るとき、見たものの名前や種など、分節された世界の一部を 見ることになる。以前の私にとってはアブラナと白菜は同じものだけれども パンジとかヒマワリのような花からは区別されていた。 それが細分化された ということは、世界認識の仕方(分節の仕方)の一部が変形したことを意味する。  「学習」とか「知る」というのはまさしく、世界認識の分節化のプロセスである と言えるのだ。現代のweb検索の世界も、その延長線上にあるといえる。 


201004101330s.jpg  2010.4.13 戸張近辺にて

 菜の花とブランコは全く別のものだとすぐに判るのは、 「菜の花=植物」、「ブランコ=無生物」というグルーピング(世界分節)の習慣を 知らず知らずのうちに獲得しているからなのだが、「公園で見られるもの」という 見方に変えれば、どちらも同じ分節の中に切り取られることになる。 (やや無理のある例だが....)

 そこで問題になるのは、どのような世界分節の形態を採用するかということだが、 それは管理したり知ろうとしたりする範囲(スコープ)により異なるものの、 その場その場によって必ず 『最適な』 世界分節の仕方が存在するはずであり、 その形にいかに漸近させるかを考え抜くところにデータベースの妙味がある。  もっと言うと、菜の花やブランコは物質であるのに対して、「人の好み」とか 「動詞の態」、「権利」、「時間帯」、「自治体」といった抽象的な概念を扱わなければ ならない場合などは更にハナシが込み入ってくる。 システムの可能性と限界の間で、 それらをうまくまとめることが出来るかどうかに、データベースを扱うセンスが 表れるのだと思う。
2010/04/13

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