田坂広志さん絡みの書籍・音声・映像から
直感は過たない。過つのは判断である。
直感を働かせるには
 「逃げ道を断つ」
 「心を整える」
企業の使命は本業を通じて社会に貢献すること
 「利益を得た」ということは、その利益を使って更なる社会貢献をせよとの声だ。
 日本企業の考え方は、「利益は手段であって目的ではない」。
 利益を最終目的とする営利主義の欧米の企業理念とは根本的に異なる。
「はたらく」とは、傍を楽にするということ。
 laborのようなネガティブなイメージは無い。
情報の「3つの理」(情報通が心がけていること)
 @情報に思いをこめる
 A情報に言霊をこめる
 B情報に企みをこめる
 価値ある情報を発信する人間のところに価値情報が集まってくる
「ロジカルシンキング」はただの基礎。
 大切なのは「シンキング」(直感、気付き、フィーリングを含んでいる)。
 今どき、@調査 A分析 B予測 C評価 D提言 なんて誰でもできる
 これからは、分析よりも感じ取ってしまう直感性のほうが大切
 シンクタンクはこれから「フィールタンク」になっていくだろう。
論理的な力と直感的な力は対立するものと考えられてきたが、
 実はそうではなく、使い分けるバランスが大切
 
言葉にて語り得ることを語り尽くした時、言葉にて語りえぬことを知ることがあるだろう
   (ビトインスタイン『論理哲学論考』)
無意識のマネジメント
 「静寂がやってくるのを待っていました」(羽生棋士)
 静寂心がないと直感力を使えない
原発事故の精神的被害
 ひとつは、将来癌になったとき、「原発事故が原因ではないか」と苦しむことになること。
 タバコや体質では納得できず、そのときまで原発事故の苦しみを引きずることになる。
官僚機構に悪人はいない。
 みな悪意はないし、真面目に仕事している。
 しかし一人一人が少しずつ無責任。
 すると、官僚全体が恐ろしく無責任になってしまう。
原発は良い/悪いという議論では駄目
 人類の英知は、この凄まじい技術を使いこなせる程にはまだ賢くない。
 技術的な対策を十分に施せば原発を制御できるという幻想がある。
 しかし問題は技術ではない。人的、組織的、制度的、文化的な問題である。
 今の社会システム、行政システムのまま原子力を続けるのは極めて危ない。
情報革命の本質は、合理化・コスト削減・通信革命ではない
 革命という言葉の意味は「権力の移行」。
 情報革命とは、今までの情報弱者が情報強者になること。
  ↓
 顧客中心型のビジネスモデルが回帰する。
「決める」=自分の深いところをどこまで信じることができるか
「何を決めるか」よりも、「どのような心境で決めるか」が大事
論理的に考える訓練を徹底的にやったときに、直感の世界が磨かれてくる
直感を磨くには、論理的思考を徹底的にやるほうが近道である
「深く考える」とは、論理を徹底した後に研ぎ澄まされた直感(潜在意識、真相意識)を使うこと
瞑想(メディテーション)は、「する」ものではなく「起こってくる」もの。徹底したときに起こるもの。
情報革命とは、誰でも多くの知識を簡単に手に入れることができるようになった結果、
  「知識そのもの」の相対的な価値が落ち、言葉で表現できないノウハウが増えてくる現実のこと。
従来のマーケティングでは、顧客を操る、いかに虜にするかが中心テーマだった。
 これからは顧客のほうが情報を持ち、よく見抜くため、必然的に顧客中心主義に
 回帰せざるを得なくなる。
目の前の問題を解決すると、次の問題が出てくる。その問題を解決すると、
 また次の問題が出てくる。
 →「数珠繋ぎのパンドラの箱」
ボート型組織と登山型組織
 ボート型組織・・・手抜きが通用してしまう組織
 登山型組織・・・ぶら下がり画通用しない
 組織は登山型であるべき。組織の中にあっても、一人一人が明確に自立すべき。
 =プロフェッショナル組織(プロフェッショナル集団)
「科学では操作できない世界は実は大部分にわたる」ということに対する気付きがあるか
 どうかということが、科学技術の成熟度を示す指標となる。
設計・操作・制御・管理ではなく、複雑系からの自然な創発が何故起こるのかを考えるのが、
 現代の大きなテーマ。
 創発(インキュベーション)は操作できない。ある一種の謙虚さの中から生まれることが多い。
結果として現れるのに過ぎないこと(リーダーシップや成功)を目的にしてしまうことが現代の病。
 「創造性」、「クリエイティビティー」、「一流」など、たまたま選択した生き方の結果として
 得られたに過ぎないことを見て、それを安易に目的にし、操作主義的な学び方をしてしまう
「仕える」修行という苦労を下積みとして持っている人は強い。
成果主義は、マイナスの評価をされたものだけでなく、プラスの評価をしてもらった者にも不満が残る。
  ↓
 アメとムチ、生き残り、個人成果主義では、納得して働く人は誰もいない。
 日本で最も生産性の上がった時代は、「働き甲斐」や全体の成果の「分かち合い」があった。
労働力の流動化を論じても、プロとして腕を磨いた人たちが全体として日本の生産性を
 上げていかなければ意味がない。現在行われている労働力の流動化は、安い労働力を求める企業と、
 高い給料を求める労働者の、その場限りのマッチングが行われているだけ
 この状態が続くと、最後には焼き畑農業のように何も残らなくなってしまう
CoolHead(マクロな視点)WarmHart(ミクロな視点)を同時に持ち続けることが大切
 評論家ではダメ、感情に流されてもダメ
直観力、洞察力、大局観
  ↓
  論理を超えて答えをつかみ取れる力量 (高度な感覚的能力)
  ↓ なぜこれが求められるのか?
  @ 社会の変化が早すぎる
  A 社会が複雑化しすぎている
  B 常識が変わりつつある。
  論理が通用しない (論理が追いつかない) 時代になった。
  ↓ しかし、
  プロの真実としては、論理思考を徹し抜いた先に、突き抜ける境涯がある。
  論理思考にとどまっている場合ではなくなった。
  (論理思考を踏み越える。軽視するのではない。)
E.フロム
  ナチが台頭したのは、頭の良い代表に任せる (実は責任逃れ) という、
  哲人政治を行った結果だった。 実は結果として、これが衆愚政治になった。
民主主義は国民の多様性に伴って衆愚政治になることがある。
   ↓
  いかに政治制度を整備して、どういう選挙制度だろうが、大統領制だろうが、内閣制だろうが、
  どんなに整えてみても、根本にあるのはその手前の国民の意識の問題。 ここが、
  ある状態にとどまっている限りは、どんな制度を持ってきてもかたちを変えた衆愚政治に
  なってしまうことは明らかである。
21世紀初頭の政治も、大きな歴史の流れから見れば、制度そのものも、
  国民の意識も非常にプリミティブな段階
  意識の問題として、観客型民主主義から参加型民主主義への転換ができるかどうかにかかっている。
   (代議制民主主義というのは、非常に便宜的な方策に過ぎない)
「官・民」という分け方をするが、その2つの間に 「公(ボランタリー)」 という考え方があるはず。
  「公的サービス」は、我々はいつの間にか 「官」 がやってくれるものと思い込んでいる。
  すると、官の側もそれに甘えて、もっと税を上げると言ってくる。
  ボランタリーを強くすることで、小さな政府を実現しても、公的なサービスが疎かに
  ならないようなビジョンを、いま世界各国で試している。
制度というものは、その制度を組み立てる前提となっている人間観の人間を殖やしてしまう。
  「人を見たらドロボーと思え」 という人間観で制度が組み立てられると、そういう人たちの
  意識を増長してしまう。
マイクロファイナンスで大切にしているのは、「人間を信頼する」 こと。
  「支えてあげる」 ということ以上に、「Dignity (人間の尊厳)」 を大切にしている。
  つまり、単に 「恵んであげよう」 ということではない
  「返済してください」 というのは、ボッタくられたら困るからということではなく、
  「借りたものを返す」 ことによって、経済的自立を獲得すると同時に、
  自分自身に対する自尊の信念を持てるようになる。
  「Dignity」 という側面がないと、グリーディーな経済原理に振り回されるだけ
  単なるハゲタカのようなヘッジファンドと同じになってしまう。
フランクルが、ナチスのユダヤ人政策を目の当たりにして見たものは、いつ殺されるかも
  しれない極限状態の中で、普通であれば人間の最も醜い側面が露になると
 予想されるところが、全くの逆だったということだった
集中力を高めようと思っていると、集中力はなかなか育たない。
 何事かに問題意識をもって事にあたると、いつの間にか身についているもの
 それが集中力。
多読、速読しても残らないし、自分を変えることはできない。
 問題意識や目的をもって読むと集中できるし、残るものも多い。
なんでもよく知っている物知りではだめ。意味のある断片的な情報から、
 更に深い意味を持つ情報を 「見出すか」 が大切。
  @何が見えるか
  A何を仮定できるか
  B何を意味しているのかを考えることに頭を使う
人に教えよう、伝えようと思っているときは、自分自身が何かを求めているときに比べ、
 思考が非常に浅くなっている。 そのような人が書いた実用書は、実用の場、
 実際の現場や臨床では全く役に立たない
求めることを一段落させ、整理に入ってしまった人の言葉は浅い。
 現場で悪戦苦闘している人の目線の深さにおいて、言葉にしてしまうとしても、
 「要するに」 の言葉にならない部分が、解り易いかどうかは別として
 非常に大事。 そうした人の言葉は現場で、臨床で役に立つ。
(インターネットと自転車)
 インターネットを例えるなら、自動車ではなく自転車。 クルマのように誰でも
 すごいスピードを出せるような道具ではない。 
 自転車と同じように、体力(知的体力)に応じた結果を出せるというのに過ぎない
パソコンを使えない人が生き残れないのではない。 パソコンで置き換わって
 しまうような仕事しかできない人は生き残れない。
 パソコンで置き換えができない仕事をできる人は、パソコンが使えなくても
 生き残っていく。
(ラダイド運動)
 産業革命のときに、機械に仕事を奪われると思った人々が打ち壊しをやった。
 しかし実際には、産業革命は労働者を重労働から解放した
 現代はIT革命の時代。パソコンに仕事を奪われると考えるのではなく、
 より人間的な仕事をできるようになっていく過程と考えるとよい。
 結局、歴史は螺旋状に発展しながら、元の位相に戻ってくる
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