武田鉄矢「今朝の三枚おろし」から(1)
うつとは、幸せを感じる感覚の不調のことではなく、感情がフリーズすること
ダーウィンの進化論
  ↑
 いとこのゴルドンの優生学ナチスが利用
  ↓
 ゴルドン自身の統計学による研究で、優生学は間違いと判明
  ↓
 「優」+「優」=「優」にはならない
 人類の平均に集中する
  ↓
 「種は平凡に回帰する
 (神は平均を好む(特別を嫌う))
データから偶然を排除する(ランダム化)
 →回数、サンプルを増やし、偶然を1%未満に抑える
全身を動かす運動をしないと、感情がマヒする。
 感覚や肉体が麻痺するのではなく感情がマヒする。
中年における心理の変化(中年の危機)
精神疾患の最も効果的な対処法
 ↓
 俺はこういう病気なのだと自覚すること
×行動は性格が決める
  ○行動が性格を決める
河合隼雄
 人生において心理、魂の危機は何度も訪れる。
 人生の季節が移り、その人の心が年齢を重ねて成長し、あるいは成熟していくとき、
 それまで身につけていた物語が息苦しくなり、その物語が汚れたり破けたりする。
 その都度人は、「私」という物語を作り直さなければならない。
河合隼雄
 「私」あるいは「日本」をスカッとした物語にしてはいけない。絶対にウソが入り、
 そして失敗する。スカッとしすぎると一代で終わってしまう。スカッとしないと、
 誰かが物語の続編を作ってくれる。人が集まってくる。
環境への適応を完成してしまった人類は、自らの「突然の死」を招く
 □ネアンデルタール人
  体格がよく、強い。獲物に対して一人で素手で立ち向かう。そのため殺された。
 □ホモ・エレクトス(原生人類)
  小さく、弱い。道具を使い、集団を作り、移動した。結果、生き延びた。
  ↓
 適者生存ではなく、適合していない者は急速に生態的開放を成し遂げ、生存可能になる
  ↓
 明日幸せになる人は、今不幸でなければならない。
強くなりたいがために一生懸命になっている人は、
 「今現在の自分の弱さ」に縛られている。
人間のコミュニケーションの面白さ
 人間はコミュニケーションをより複雑なものにしようとする。
 より複雑なものにすることによって、より強く結ばれようとする。
教えようとする話が見抜かれると、双方とも面白くなくなる。
言葉は正確な情報伝達手段ではない。
 画像、言葉だけでは不完全。
 気配、肺活量、息、熱、目の輝き、表情、表情を隠そうとする表情が必要。
 インターネットコオロギは不完全な接触が続き、凶暴になる。
「私」は「あなた」を経由しなければ「私」にたどり着けない。
西原かつなり
 遺伝子の決定する形質は一様式ではない。
 環境の変化が遺伝子の別の可能性のトリガーを引き、新しい行動様式の生き物に
 変身させる。 「不安という波」や「苦しいという熱」を発生させると、
 生物は遺伝子を激しく廻して別の可能性を探る
 胎児がえら呼吸から肺呼吸に変化するのはその一つ。
便利屋、使い走り、何でも屋、器用貧乏
  ↓
 これらの敬遠されがちな仕事は、基礎点が高い。
 無理が利く人は加点が大きい。
  ↓
 「何でも屋」ではなく『ポリバレント(化学用語:「接着剤的な」)』という
  ↓
 ポリバレントな人は他者能力を励まし、他者を経由して自分を発見する。
 (他者を選んでいる人は必ず自分を見失う)
 わらしべ長者は交換するものを選ばない(断らない)
脳は疲れない臓器。別の箇所の疲れを脳が認識しているだけ。
 この場合、休むのではなく別の仕事に切り替えて集中すると良い
休むときはキリの良いところで切らず、次の山の登り口に入ったところが最も良い。
海馬を太らせるためには「遊び」
 遊びによって新しい神経の繋がりができる。海馬が痩せると、
 一つのことに固執するようになってしまう。さらに海馬が痩せる
眠ることによって、必要な情報と不要な情報を海馬が棚卸しする。
 ゴチャゴチャになった経験を整理する。
 棚卸しがうまくいくと、昨日できなかったことが今日、急にできるようになる
人は何らかの生産に関与しないと生きていけなくなっていく。
 中間マージンがなくなり、川の上流(生産)からいきなり海(小売)という
 消費世界に結びつくようになってしまった。
 生産に関与せず、消費のみの老後は人をますます惨めにする。
 産業には動脈としての赤い産業と、静脈としての青い産業があるのではないか。
 その青い産業を、ある一定の年齢以上の人たちが担うようにしてみたらどうだろうか。
内田樹の修行論
 「敵を特定し排除しさえすれば原初の清浄と健全さが回復する」
  → すれ違う人もすべてが潜在的に敵となってしまう。
 隣国・隣人を敵と思わない自分を構成する要素のひとつだ
 という心を作ることが修行である。
沢庵和尚
 「敵だ」と思った瞬間に、あなたの心は敵に居ついて動かなくなってしまう。
 体は動かず力が抜けずにあなたは斬られてしまう。
 斬られないためには間髪を入れずに答える必要がある。
 入力と出力のタイムラグをゼロにする。
 それが武道的身体、非中枢的身体運用
 脳に情報を一回入れない。脳を経由せず体が反応する己
 瞬時に相手とのハーモニーを形成すること。
「守るべき私」を忘れたとき、「私」は最強となる。
無敵への探求の第一歩
 未来を予測しないこと、これが無敵への探求の第一歩。
完成形(100点満点)を作らない
 完成形というものを仮想的であれ、先取りするということは、
 単一の度量衡に行き着くことを意味している。
 満点回答を知っていたということは、満点に至る体験をできていないことになる
 何にでも点数をつけようとする考え方がマズいのは、
 100点を知らずに点数をつけてしまうと(未体験の100点を作ってしまうと)、
 今後最高のものには二度と遭遇できない。
 自分の中に100点を作らないことが、100点を目指す意欲になる。
こどもは、「大人である」ということがどういうことか知らない。
 (大人は「大人」になった後に「こども」と対比参照して
  大人になったことに気付く)
 なぜ人間はこどものままではダメなのか?
  ↓
 大人にならないと子供の世界を守ることができないから
 
 「『悪』が私の内側にもあります。」というような大人の感性
 正義を目指さない限り、人間は非常に残酷なこと(子供の行動)をする
 (戦争・テロ・過激な行動)
  ↓
 これに対処するには、「ゆっくり」変えていくしかない。
 「大人」、つまり修行した人にしか、その「ゆっくり」に
 耐えることはできない
人間を正確に動かそうとすればするほど、「不正確さ」に対する
 対応力がどんどん落ちていく
誤解学(西成活裕)
 誤解は単一化を避け、答えを一つに絞らない、多様性確保のための
 メカニズムである。
 単一化が進むと、事態が変わったとき一斉に死滅する危険性がある。
 "ひずみ"(誤解)をエネルギーとするとき、そのストレスが
 人間の行動の原動力となる。
 誤解を許せない人間は成長できないし、つまらない。
悲観的な脳は「楽しい情報」、「良い情報」を探し回る
  楽観的な脳は、悪い現実にぶつかったとき、「なんとかしよう」と考える。
人間は諦めてしまうと、不愉快に堪えるようになってしまう。
(レナード教授)
  正しい自己評価を持つ人の大半は軽度のうつ病である。
  自分自身に対して前向きな錯覚を持つと、
  人は多くの人を助けようとする傾向になる。
  自分に対してよい勘定を抱いている人は、
  強調的、建設的、難題に対する粘り強さを発揮する。
  自分自身に自惚れていないと、人間は弱く脆い生き物。
想定外の出来事のみが人間を成長させる
  我々は想定内を振り回しすぎているのではないか?
(かなやたけひろ)
  日本語は互いの共感を呼び起こし、
  英語は互いの関係を明確にする。
英語は動詞が人称によって活用するから、
  主語が決まらないと動詞が決まらない。
  日本語は人称を徹底して省く
生産性の低い者を捨てる集団は絶対に続かない。
  参加するものがいなくなってしまうため、次世代で崩壊する。
人生の難問から呼びつけられた時、「なんでオレが」 ではなく、
 「はい、私はここにいます」と応えなさい。
 旧約聖書で、ヨブは神に呼ばれた時、「私を呼ぶのは誰だ」 と
 応えて、そののち酷い目にあった。
 (アブラヒムは神に呼ばれた時、「I'm here」 と応えた)
互いに察しと思いやりを続けていくためには、相手を
 違う星の人と思えば、「違う星の人なんだからな」と、 
 何でも許せるようになる。
「確かな」とか「絶対に」といった枕詞を使うとき、そこには
 「確かではない」という不安が潜んでいる。
 危なげなく、信用できて、確かであるとき、そんな言葉を使う
 必要はない。当たり前であるとき、わざわざそれを強調したり
 しないからだ。
「私」とは、失敗したときに現れる現象。 うまくいっているとき、
 人は自分のことを考えない。 人間は、間違ったときのみ個性的。
 間違ったことによって個性を作り、失敗の積み重ねが自分を作る。
(フッサール)
 「生きている」ことも忘れないと、生きていくことができない。
歌うと酸素が取り込まれてエネルギーになる
体の中心を腰においたことが、日本の武道の始まり。
 日本の武道では力を弛めることが大切。
 背筋を伸ばすのは、筋肉を固めないようにするため。筋肉を固くすると
 その姿勢を長時間維持することができない。 もともと武道には
 時間制限がない。制限時間がある競技はすべて前傾姿勢
乱れた心理は、心では対処し難い。 心で整えてゆくのが一番の道。
 その第一は「姿勢」。 無理に姿勢を伸ばさず、上から吊られている
 ようにする(スカイフック)。 無駄な力を抜く。足裏へ意識を移し、
 そこから重心の位置を確かめる。丹田へゆっくり重心を移す。
 呼吸法は「三呼一吸」。吐く息に注意を向けて三度に分けて
 ストローで吐くように細長く吐く。
人を輝かせるのは、その人の「気配」にこめられた「花」というオーラです。
(世阿弥の「初心」)
 いらないところはバッサリ捨てていけ。変化する。そのためには痛みが伴う。
 それも敢えて引き受けよう。 それが「初心」
(老い)
 我々は老いる過程で「身体」「感情」「知性」のどれかが優位になってしまう
 体が威張ると、知性を忘れる。
 感情が優位になると体を見下す。
 知性に自惚れると感情を無視するようになる。
(頭を下げる)
 65年の人生を振り返ると、後ろに反る奴と手前に垂れる奴を見てきたけど、
 垂れる奴は大きい事故に遇わない。アタマを下げる習慣は最高の護身術
 ただアタマを下げるだけ。その「型」を学んだだけでも、あなたの中に何かが
 宿るというわけです。
(世阿弥の「目前心後」)
 「目前心後」
 前を見つめる私、その私を後ろから見ている私がいる
(冬)
 「冬」の語源は、「殖ゆる」。
 外に開放するのではなく内側にエネルギーが殖えてゆく。
 それゆえ、その後に春がやってくるのだ。
(未熟 (和田秀樹))
 認知的成熟度の低い人は、敵と見方に世界を分けて、ただ一つの
 正しい答えを求めてしまう。 そういう人は、いつもカリカリしている。
 そして曖昧への耐性がない。
 「曖昧さ」とは、「重大な決断」である。 量によって薬にも毒にも
 なり得るものは自然界にたくさんある。 その分量を間違えまいと
 することが、「曖昧さ」への耐性である。
(武田砂鉄)
 批判は簡単だが、褒めるのは難しい。 それは、日本語の言葉の
 中に褒めるというパターンが少ないからだ。
 褒め言葉の貧弱さは、批判とのバランスがとれていないことを表している。
(ヘリゲル「弓と禅」)
 悪い射に腹を立ててはならない。 良い射に喜んではならない。
 射に快と不快を区別してはならない。 
 快と不快の間を往き来していると心がバラバラになってしまう。
 良い射を得たならば、その射を目指して弛まず練磨しなさい。
(足跡を残す)
 残そうとする人は絶対に残らない。
 残さなくとも良いと思った人だけが残る。
(ヘリゲルの師匠)
 前部当たったら武道ではない。 それは曲芸だ。
(桜井章一)
 努力にこだわると成長が止まってしまう。
(成熟 (内田樹))
 「今まではそんな風に考えなかったが、ある瞬間から、
  そんな風に考えることもできるようになった。」
 それを成熟と言おう。
(校則と制服の意味 (内田樹))
 集団の中での、美的違い、身体的違い、力の強弱を顕在化させず、
 「一斉に強くなるために、制服や校則で縛りを入れる。
 強弱を顕在化させると他に狙われて滅びてしまう。
(ゲーム (内田樹))
 政治も経済もゲーム。 そのゲームが楽しくないと感じたら、すぐに
 そのゲームから降りるべき。 出て行く場所はある。
(正しさ (内田樹))
 ある種の言説がロジカルに正しいものであったとしても、「生きる力」を
 奪うものであれば、人間はその正しさから離れるべきだ。
 正しさは、人の心の病のもとだ。
(武田鉄矢)
 正しいことを言い続ける人の顔は、だんだん病的になってくる。
 反対運動をやる人は、あるラインを越えると呪いになってしまう。
 同じ言葉を連呼する「絶対反対 絶対反対 絶対反対 絶対反対・・・」は、
 呪いのリズムになってしまう。 それは不健康
 「絶対反対」 という言い方そのものが病的ではないか。
(想定外 (内田樹))
 想定外の際の動きを想定したプランを立てると、最悪の事態に至る。
 最悪になる前の小さなアラームを軽視し続け、最悪になるまで待ってしまう。
 最悪の事態を想定すること自体が、その人に呪いをかけている。
(内田樹 『困難な成熟』)
 恐怖、不安、公開を最小化するには、「この場を主催しているのは私だ」
 という気構えでその場に相対すること。 
 この不安は、この恐怖は、この後悔は 「俺のものだ」 と気構えること。
 現場 (自分の人生) のプロデューサーになれ。 
 プロデューサーのやることは何か。 それは、床のゴミを拾うこと
 普段から足元のゴミを拾う人は、その場を主催するプロの自覚を
 持つことができる。
(内田樹 『困難な成熟』)
 「誰のせいだ!」 という他責の言葉遣いは、「自分で何とかしなければ」
 という 「場の主催権」 を放棄することになってしまう。
 武道で言えば、「先手を取られた!」 という失敗の言葉と同じ。
 他責の言葉遣いは、失敗の言葉遣いと同じ。
(内田樹 『困難な成熟』)
 努力できるというのは運が良いということ。
 努力できる幸運を手にすることができるのは、貧しい環境にいる子供だけ。
 恵まれた環境では、努力している自分に気付いて感謝することができない。
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